コーリン色鉛筆・日本公式サイト
日本に再上陸したコーリン鉛筆、「コーリン色鉛筆」の公式サイトが公開されているのは、皆さんご存じかと思います。今週になってコンテンツも充実してきているようです。
例えば…
・メールマガジンの登録ができる
・各種媒体掲載のお知らせ
(日経BP社 Tech-on!、MONOマガジン8/2号~7/16発売)
・ISOTのブースの様子(時計が可愛いの♪探してみてください)
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ありがたいことに、最近、コーリン鉛筆をよく知る方から、色々とご教授をいただけるようになってきました。コーリン鉛筆の協力工場だったK鉛筆製作所・Kさんもそのうちのお一人。
そのKさんから、ロゴの向きが右から左へとかわった理由を教えていただきました。
(2007.08.03 16:15 顔の向きについて修正)
....... ↓↓↓
▼左向き-昭和57年(1982年)2月より
同年4月には本社を最終地の新小岩に移しているコーリン鉛筆、CIの一環としてマークの向きも変更したようなのですが…その理由は、
右向きマーク+商品名(会社名、製品番号など)
だと、顔の向きが後ろ向きになって後退をイメージさせるということで、
左向き+商品名(会社名、製品番号など)とし、
マークを先頭に左へ前進するイメージさせる。
これは、ある社長のご意見だったそうです。
な、なるほどぉ~!後退ではなく前進を、このマークの向き変更や本社移転など、当時のコーリン鉛筆の意気込みが想像されます。社員の方々もきっと「さぁ、もっとがんばるぞ!」と燃えていらっしゃったんでしょうね。ちなみに翌年・昭和58年(1983年)3月にはサンリオとのライセンス契約も開始されています。
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昨日、このBlogの"リンク元ページ・サイト"を見ていたら見慣れぬURLが。http://ja.wikipedia.org/wiki/....ん?ウィキペディア?んんー?
クリックしてみると、なんと、コーリン鉛筆の項目があるじゃないですか!びっくり。いつの間に…。知らなかった…。
■コーリン鉛筆/Wikipedia
まだまだ書きかけで、簡単な沿革と外部リンクしか書かれていないのですが(しかも外部リンクに拙Blogを貼ってくださってて恐縮^^;)、これから先、三菱鉛筆やトンボ鉛筆のように充実してくるといいなぁ。主な製品には何がクルんでしょうねぇ。ハイピアスとゴールド芯は絶対にクルとして、いまいち知名度が低いけども後期の名作・CORE-Gや、色鉛筆770なんかも入ってくるんでしょうか。Mildexも入れて欲しいなぁ。いやまて、3030や9900も外せないだろう。ダーマトグラフの1818は、難しいかな…。などと、勝手に想像してニヤニヤしています(苦笑)。
編集されてる中の人、頑張ってくださいね!
-----
2007.07.23追記
編集の中の人へ
主な製品紹介を書く際に商品写真が必要になったら、メールください。画像提供いたします(゚д゚)ノマカセテ!
kero556_556★yahoo.co.jp ★を@に変えてください。
あー、てか、ここから持ってちゃってくれてもOKOKです。
2007.07.24
リンクがおかしかったので直しました。ごめんなさい。…何回直してもダメですね。なぜかソースが書き換わってしまうのです。ココログは"記事の編集画面で[HTMLの編集]と[記事の作成]を行き来するとHTMLが書換えられてしまうのは仕様のようです。"のようなんですが…そんなことってあり?!
------追記ここまで
・
ちなみに、"日本の事務用品メーカーの一覧"カテゴリページもあります。お時間のある方は、いろいろ見てまわるのも楽しいかもです。
▼消しゴム付き鉛筆 No.710
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ISOT最終日の夕方(この日はわっしーさんが会場にいらっしゃったんですよねー。きちんと連絡するべきだったー><)、少し早めにビッグサイトを出て、ゆりかもめに乗り込み、向かったのは「お台場海浜公園」。コーリン鉛筆タイランドのIさんにご紹介いただいたIさん(あ、イニシャル同じだw)から、コーリン鉛筆が売られているショップの情報を教えてもらったのです。これは行かねば!!ということで、重い荷物を担いでGO!
▼駅から徒歩3分ほど 東京はなんでもデカイね~。
▼コーリン鉛筆を販売していたショップ、「まぼろしチャンネル購買部」
まぼろし…うん、昔の商品は今やまぼろしですよね…
▼ありましたー!
水森亜土ちゃんのイラストが懐かしい鉛筆が4ダース、特別なガラスケースの中に鎮座ましましまし(多いっ)ておられました。
いやぁ、実際に売られているところに出会うのは、何度経験しても興奮します(笑)。わっわっわっ!あった、あった!って。この日も一人で騒いでしまいました。←多分変な人に見えたハズ…
買って帰ろうかどうしようか迷ったんですけど、ここで展示販売され沢山の人の目に触れることの方が、(私が持って帰るよりも)価値があるかなーと思い、そのままにしています。お近くに行かれた方は、よかったら見に寄ってください。買うなら、ダース1,800円です。…ちょっと高いかな^^;;
売っている場所を教えてくださったIさん、
本当にありがとうございましたm(_゛_)m
次回は、コーリン鉛筆の聖地編です。どんだけコーリン好きやねん。
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ISOT2007参加を口実に、ふらふらと関東方面を旅行してきました、皆様こんばんはKero556です。…あわわ、地震です@関西(ホントにたった今揺れました)。マグニチュードは3.2、震度は1。ぜんぜん大したこと無い数字に見えますが、けっこうな音と衝撃と共に縦揺れがドンドンッ!ってきたんで、冷や汗かきました。怖い怖い。
しかーし、ISOT参加中に起こった出来事は、こんな程度の衝撃じゃなかったんです!
そうです、この記事です!(遅いわっw)
毎日新聞 2007年7月5日(木) コーリン鉛筆、タイで復活
【バンコク=田原徳容】トンボ、三菱と並ぶ世界最高水準の日本製鉛筆として長年親しまれながら、1997年の会社倒産で姿を消した「コーリン鉛筆」が、タイで復活し、10年ぶりに日本に“再上陸”することになった。元社員がタイ人に指導し、技術と伝統を守り抜いてきた結果だ。“幻の文具”として日本のマニアの間で根強い人気を誇るだけに、元社員は「また使ってほしい」と意気込んでいる。
この元社員は井口英明さん(40)。89年に入社し、タイの現地法人に出向した。東京都葛飾区に本社があった同社は、社歴80年の老舗文具メーカーで、西洋人女性の横顔を模した三角形の独特のマークが目印だった。しかし、過剰投資などで負債約70億円を抱えて倒産した。
日本に戻った井口さんは経営再建は難しいと知り、「伝統ある鉛筆を何とか生かしたい」と、期限が切れる商標権を現地法人に移すため奔走。自らも生産停止の危機にあった現地法人の一社員として再スタートを切った。
バンコク近郊の工場でタイ人20人との“復興作業”は苦労の連続。各工程の製造機械は50年前のものが1台ずつしかないため、見よう見まねで「自家製」を造ってしのいだこともあった。精密作業も言葉が通じず、失敗続き。毎日泊まり込んでタイ人と酒を飲み、ようやく「良い鉛筆を一緒につくる連帯感が生まれた」。それでも、「いつか工場がつぶれる」との不安から、タイ人の妻と3人の子供を抱え、翻訳の副業も徹夜でこなした。
工場は2000年ごろから軌道に乗り、04年に数種類の商標権の委譲をほぼ完了。年間2万ダースを生産し、タイ国内だけでなく、香港やフィリピンなどにも輸出するようになった。
井口さんは、「品質を落としたと思われたくなかった」と、世界トップレベルの技術を誇る日本の鉛筆であることにこだわった。色つきの良さと滑らかな書き心地がコーリンの持ち味。年に数回日本を訪れ、材料を調達し、鉛筆製造の技術者に教えも請いながら、造り続けた。
日本への輸出販売は、資金面で難しいため見送ってきた。が、最近、インターネットで倒産前の商品が話題になっていると知り、「まだ忘れられていない」と考え直した。高齢者向けの高級色鉛筆を年内にも通信販売する方向で、現在、調整中。来年は東京の国際見本市にも出品する予定だ。
鉛筆ケースには必ず、「JAPAN LEAD(日本の芯)」の文字を入れ、日本の心を忘れずにきた井口さん。「偶然引き継いだ仕事は今、ライフワーク。小さな商品だが、愛用してくれる人のために造り続けたい」と話している。
Web上の記事はこちら
沢山の方が、この記事についてのBlogエントリーをされてるようです
ISOTに向かう新幹線の中で、友人からの連絡で新聞掲載されていることを知り、降り立った品川駅のキオスクで店員さんをおどしお願いし、バックヤードから朝刊引っ張りだしてきてもらうこと全部で5部。全てお買い上げの上、ビッグサイトへGO!荷物重いとか気にしな~い。だって、会場ではものすごいこと待ってるから…
…実は7月に入ってタイコーリンとの連絡がやっとつき(いままで私のメールは何だったんだー!笑)、丁度ISOTにいらしていた、件のIさん(何で今さらイニシャルトークw)とご挨拶をする約束をしてたんです。
会場入りしてすぐにお会いすることができ、その後も、何度か立ち話をしてイロイロとお伺いしてきました。そして一方的なお願いも(笑)。
てか、すいません、何をお伺いしたか、舞い上がっててあんまりはっきりとは覚えてないんですよ。でも、しっかりと『芯ホルダーを復刻してくださいっ><』とだけはお願いをしておきました。…難しそうですけども。いや、他にもいっぱいあるんですよ、復刻して欲しいのは。
ハイピアスに、CORE-G、それからスライド式箱時代のNo.686、色鉛筆なら絶対外せないNo.770にマイルデックス、ダーマトグラフも紙巻きと木軸の両方欲しいし、そうそう、樹木鉛筆だってまた作って欲しい(これは製造だけですけども)。ゴールド芯…は、タイで作ってるそうだからいいとして、Nさんに探してあげたい芯ホルダーは絶対欲しいし、それだったらハイピアスの替え芯も欲しいし。イタリコ新シリーズも…わーーーいっぱいありすぎて困る><
と、欲望でパニックになりそうなのを抑えてたもので、話した内容を覚えてる余裕が無くて(ぉぃ)。
でも、ひじょうに鉛筆作りやコーリン鉛筆に対して情熱をお持ちの方、という印象は、しっかりと残っています。情熱、どころじゃないです。熱すぎです(ぇw
どうぞ、これからも頑張ってください。
あ、思い出した。昔の商品のことについてお伺いしたんだった!(笑)。
残念ながらコーリン鉛筆に入社されてからタイへの赴任期間が長かったとのことで、私が知りたい昔のあれこれについては、ご存知でないこともあるとのこと。
ということで、コーリン鉛筆に深く深くご関係のある方を紹介していただきました。Kさん、Iさん、Kさん、改めまして、その節は誠にありがとうございました。お会いできて光栄です。今後とも色々とご教授くださいませ m(_゛_)m
とりあえず、今日のところはここまで。
ISOTそのものについては、後日ここかANNEXでエントリさせていただきます。書きたいことがいっぱいあるんですよー><
次回は、上京ついでにコーリン鉛筆を探してあちこちウロウロしたお話です。
おまけ:「年間2万ダース」のくだりは、おおっぴらに突っ込んじゃダメなんでしょうか?(笑)いくらなんでも少なすぎです><
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携帯から手短にエントリーいたします。きちんとしたエントリー、コメントくださった方への個別のお返事は自宅に戻り次第、週明け火曜日くらいになります。お待たせしましてすいません。
さて、先日の新聞を御覧になった方も多いかと思います。私もISOTに向かう新幹線の中で友人からの電話で掲載されていることを知り、慌てて品川駅のキオスクで買い求めました。そしてISOT会場で、コーリン鉛筆タイランドの日本人の方、井口さんとお会いしました。実は7月に入ってすぐにコーリン鉛筆タイランドと連絡がつき(それまでは何度メールをいれてもなしのつぶてだったのですが、ISOTという文字をいれたメールを送ったのが功を奏したのかもしれません)、時間が合えばご挨拶させてくださいとお願いしていたのです。運のよいことに、私がISOT会場入りしてすぐに電話連絡がとれ、ご挨拶と立ち話をし、その後も、何度か会場でお会いしてお話しすることができました。(基本的には私はその日は別の方と行動を一緒にしていました)。
どういうお話を伺ったのか、どういう御願いをしたのか、それからコーリン鉛筆に絡みたくさんあった出会いなど、改めてここで御報告させていただきます。来週火曜日あたりまで、すいませんがお待ちください。・・・自分自身の整理をつける必要もありますし(たくさんのことがありすぎて少々混乱気味です。苦笑)。
結局携帯からなのに長文になってしまいました。コーリン鉛筆のことになると熱くなる自分に多少呆れつつ・・・
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エントリー、「タイのコーリン鉛筆(COLLEEN)」の中で、「とあることで、タイに今も残っている(?)コーリン鉛筆にメールを送ってしまいました。云々...」と書きましたが、一向に返事は返ってこないものの(汗)、問題は一応の解決を見た(…のかなぁ?)っぽいのでここに勝手公表!
実はですね、気付かれてた方もいらっしゃると思うんですけど、タイ・コーリンのサイトが去年の12月の割と早い段階から閲覧不能になっていたんです。
ハラハラしながら見守っていたら(メールはこの時点で送った)、結局、こちらで見れるようになっていました。作りかけっぽいですけど…。一昨日、ぐぐって発見した次第です。
全くメールも返ってこないし、前のサイトは見れないし、一時は「潰れたの?!ここも?!」と心配していただけに、ほっと胸をなでおろしたKero556。コーリン君が居なくなっちゃうのは寂しいんですもんー><。メールが返ってこなかったのは私の英語が通じてなかったからかなぁ…(苦笑)。
ということで、アクセス10,000hits記念プレゼントのこの商品は、廃盤品になるのを免れました(笑) よかったね、No.798。
あ、あとこういうのも見つけましたのでご紹介。
2006年タイ国総理大臣輸出貢献賞受賞企業(「タイ国政府貿易センター」サイト日本語ver)
ブランドネーム部受賞なんですって。まぁ、そうだよねー。なんたってコーリン君だもんなぁ。 海外でも小さなお子さんをキョーフに陥れてるんだろうn(違っ 笑
ともあれ元気そうで何よりです。
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まずはみなさん、メリークリスマス!
何かレア物とクリスマスツリーを一緒に撮影して載せようかと思ってたんですが、あんまり忙しくてお買い物に行く暇もなく。せめてと思い、コーリン鉛筆の色鉛筆で描いたクリスマスリースを...
さて、Blogを始めてから2ヶ月。最初は訪問くださる方も少なく、「これ、続ける意味あるかなぁ?」とちょっぴり弱気だったのですが、徐々に見に来てくださる方も増えて、特に、コメントをたくさん下さるたけくろさん、にきちさん、サイトーアパートメントさん、そしてtiburiusさんにはとっても感謝しています。ありがとうございます!もちろん、見に来てくださる方にもとっても感謝しています。
コーリン鉛筆に関する情報も少しずつ集まってきました。今日は、とある文具店の方が送ってくれたカタログの社史部分をご紹介。※実物はその方がお持ちなのですが、せめて写真を…ということでお願いして送っていただきました。ありがとうございます。
写真じゃ見づらいかもしれないので、抜粋してみます。
大正5年3月 東京・東神田に赤木廣八商店を創業。
鉛筆製造及び文具事務用品卸商として製造販売
を営む。
昭和4年4月 東京・田端に鉛筆製造工場を買収し直営。
昭和7年11月 東京・足立に工場移転。
昭和20年1月 戦災のため東神田の店舗及び倉庫焼失。
昭和22年6月 東京・足立の同事務所を株式会社インセンスシ
ダー製作所として設立。
昭和22年12月 『株式会社インセンスシダー製作所』を『コー
リン鉛筆株式会社』と改称。
昭和26年5月 社長、赤木廣八、『実業奨励功労者』として
東京都知事より表彰。
昭和26年10月 『JIS規格表示認可工場』の指定。
昭和27年5月 社長、赤木廣八、『緑綬褒賞』を授与。
昭和31年2月 『工場標準化実施優良工場』として東京通商産
業局長より表彰。
昭和41年4月 社長、赤木廣八、『勲四等瑞宝章』を授与。
昭和42年1月 社長、赤木廣八、『中小企業功労者』として表彰。
昭和46年6月 『輸出貢献企業』として通商産業大臣より表彰。
昭和47年7月 シャープペンシル『JIB』を発売。
昭和47年10月 シャープ替芯『ゴールド芯』を発売。
昭和57年4月 本社を東京都葛飾区○○○○○(※)に移転、工場
を茨城県水海道市××××(※)に移転し、操業開
始。新設工場として『JIS規格表示認可工場』の指
定。
(黒芯鉛筆・色鉛筆・黒芯・色芯。シャープ芯)
昭和58年3月 株式会社サンリオとライセンス契約開始。
昭和58年11月 会長、赤木廣造、『藍綬褒賞』を授与。
昭和62年2月 オリジナルブランド『イタリコ』シリーズを発売。
平成5年8月 サッカー日本代表チームの商品化権獲得し商品発売。
平成7年10月 シャープ替芯『ゴールド芯』リニューアルして新発売。
平成8年度 第2工場操業予定。
※当時の本社や工場は、現在は個人住宅や他社工場となっているため、ここでは詳細住所掲載は差し控えました。何卒ご了承ください。
株式会社インセンスシダー製作所の名前は知ってましたが、意外と短い間だったんですね。JIBとゴールド芯はほぼ同時発売です。ゴールド芯はリニューアルされてるし。イタリコってシリーズは、これで初めて知りました。…と、たくさんの新しい発見がありました。これまでは断片的に知るのみでしたが、歴史を知ることができ、いっそうコーリン鉛筆への理解が深まったように思います。ご協力ありがとうございましたm(_゛_)m<文具店の方
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